令和を駆け抜ける

誣告と讒言を憎む評論。

消費税増税し、習近平を国賓に迎える。

 ツイッターを見ていると、保守的だった人まで安倍政権の批判を始めました。

 その要因は次の二つのものが主です。

 ①消費税増税

 ②習近平国賓に迎える

 

 私は、どうもこれだけで酷評することはそれ自体が酷であると思えてなりません。

 上記二つの要因は、もともと保守的で安倍総理率いる自民党を支持していた人が手の平を返すような要因となりうるのでしょうか。

 ①消費税増税

 これに関しては、10%まで上げることが三党合意によって定まっていました。そのため、このときの三党の構成員とこれを推した経済界が政治的責任を負う結果となります。

 政治的責任というのは政治家であれば失脚しかねない、経済界の方であれば政治的発言の信用を失うということですね。

 また、この三党合意の際に構成員でなかった者で消費増税をどうのこうの言う者がいますが、三党の者達よりも信頼に足るのかという疑問が付されねばなりません。

 ちなみに、第二次安倍政権は異次元金融緩和と揶揄されましたが、大規模な金融緩和を実現しました。これは画期的で、安倍総理は失われた50兆を取り戻したと堂々と宣言しました。事実、名目的GDPは上昇し、後に実質GDPも上昇しました。

 これは現に日本の回復のための基礎を築いたものといわざるを得ません。

 それで民主党政権下で経済界も後押しした三党合意に基づく消費増税を理由にしていまごろになって責任を負わせるのですか?

 それは不意打ちであるだけでなく、これ以上ない成果があるのに無視をして、あるいは、過小評価して、少しの失敗をこれでもかと大きく評価しているものといわざるを得ません。

 はっきりいって、消費増税を理由に自民党に難癖をつけるのはおよそ無理筋です。

 

 ②習近平国賓に迎える

 こちらを根拠に自民党を非難する方がまだ説得力があります。

 それでも、五十歩百歩というか、どんぐりの背比べ程度の違いしかありません。

 

  習近平国賓に迎えるということは、習近平天皇陛下の客人として迎えられるということになります。

 現在の国際社会においては、習近平の率いる中共が香港に対する弾圧やウイグル人強制収容所などの人権問題が提起されており、中共が人民に対して非常に弾圧的・侵害的であると認識されています。

 そのようななかで、習近平国賓に迎えるということは、国際社会に対して天皇陛下の印象を間違った形で伝えてしまうのではないか、という示唆がなされているわけです。

 これはこれで、なかなかに説得力があります。

 

 他方において、そもそも現在の日本は、国際社会からどういう国だと思われようとしているのでしょうか。

 近年、国際社会において、安倍総理が積極的平和主義や集団的自衛権、法の支配などの理念を述べつつ外交を行いました。そのなかでももっとも国際社会にとって決定的だったと思われるのは、インド太平洋構想(セキュリティ・ダイヤモンド構想)と呼ばれるものです。これについては以前に説明しましたので手短に説明します。

kadomichi.hatenablog.com

  インド太平洋構想においてはインド洋、日本、ハワイ、そしてオーストラリア。この四点を結ぶ領域の安全については、日本が重要な役目を担うべきだとされました。

 そして、日本国民は、これを述べた安倍総理を三選まで支持したわけです。

 そのため、国際社会において、日本は安全を重んじなければならないわけですが、安全を高める手段には「軍事力の強化」と「外交をすること」が挙げられます。

 そこで、安保法制、特定秘密保護法組織的犯罪処罰法などを整備し、日米の連携を強めました。これらは、日本が日米安保により安全を確保することになっている以上、軍事力の強化により、安全を高めるための手段として妥当な行動をしているといえます。

 外交においては、相手におもねり、雷同することも安全を害しますが、完全な敵対的態度をとることも安全を害します。

 もし、日本が諍いを起こすことを目的とせず、安全を確保することにのみ目的を有しているのならば、外交も軍事力の強化と同様に重んじるはずです。

 

 つまり、日本のこれまでの行動の一貫性からみて、日本はインド洋からハワイまでの太平洋の安全を担い、その日本の確保しようとする安全確保の重要性に鑑みれば、外交を重んじるべく、習近平国賓として迎えるべきだ、ということになってきます。

 もちろん、国際社会において、中共の抱える問題を肯定するメッセージになる、というリスクもあります。

 しかしながら、これまでに示した理由を踏まえると、国際社会の潮流に迎合して、これまで日本自身が国際社会へ発信してきたものを無視した行動をとる方があまりに不自然です。これまでの一貫した発言・行動は何だったのかという話になります。

 日本はあくまで安全を重んじる行動を選ぶべきです。

 そして、それが天皇陛下への印象を間違った形で伝えることになるのでしょうか?

 それをいうのは無理がありますね。

 

あとがき

 正直なところ、アメリカやNATOが対中への対立を深めていることをどれほど重く見るべきか、ということに迷いがないといえば嘘になります。

 しかし、日本は国際社会に通用する論理に基づき、日本のために、かつ、国際社会のために行動すべきです。

 そうすると、上記のような結論が妥当であるということに至りました。

 安倍総理トランプ大統領習近平による解決を期待するという形で取り込もうとしています。それが最も安全に資するのではないか、と思うのです。

 にもかかわらず、国際社会が日本を非難するとしたら、それは国際社会こそが安全のための最良な選択をするにあたって誤った選択をさせようとしているのではないかと思います。