令和を駆け抜ける

誣告と讒言を憎む評論。

八紘一宇

八紘一宇

 

戦後、この言葉の使用が規制された時期がある。

 

意味は、「世界を一つの家にする」。

 

 

 

先の大戦について、ポツダム宣言においては日本は世界征服を企んだことになっている。

 

「世界を一つの家にする」とは、世界を我が支配下に、という意味にも読める。

 

 

 

しかし、家とは、助け合いをすべき1つの集団。

 

もちろん戦前でも。

 

 

 

「八紘一宇」の本来の精神は、世界の人々あるいは国々と助け合いをすることではないか。

 


事実、日本は大東亜共栄宣言において、「互助敦睦の実を挙げ、東アジア全体の親和を確立する」と掲げた。

 

互助敦睦(ごじょとんぼく)とは、互いに助け、友好を促進するという意味。

 

そして、日本は、アジア解放を目的として、東アジアのために当時宗主国として東アジアを植民地にしていた連合国と戦う。

 

 

 

これは「八紘一宇」が侵略を正当化するスローガンと言われる所以でもある。

 

「正当化」。あたかも嘘によって正当性を持たせ、その実は侵略をしたと言うのだろうか。

 

日本が「侵略をしたのか」。それは当時の国際法において、疑問に付される。

 

 

 

連合国軍の占領により、日本の家制度は廃止される。

 

今、「家」は何のためにあるか。

 

家はどんな効果をもたらしているか。

 

家にはどんな役割があるか。

 

それは、家族の扶養、家族の心身の安定、すなわち「互助敦睦」である。

 

知らず知らず、私達は家をそういう場所と思っている。

 

 

 

しかし、今の私たちは他人の「互助敦睦」という秩序のために命を懸けるだろうか。

 

他人の家で虐げられる人がいても、よそはよそ、うちはうち、と思うのではないか。

 

私達はとても大切なものを忘れてしまったのではないかと、

 

とてもとても強く危惧する。