令和を駆け抜ける

誣告と讒言を憎む評論。

蔑称で呼ぶのはどうか

 氏名を面白おかしく変えて蔑称にし、その蔑称をウェブ上で公開して用いることは、反社会的ないし秩序に反することではないかと思います。

 

 最高裁は、人格権の一内容として、人には「正確に呼称される人格的利益」があるとしました(昭和63年2月16日最高裁判決、民集42巻2号27頁)。

 この人格的利益を侵害すると損害賠償責任を負うおそれがあります。

  

 以下、判決文の一部です。

「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有するものというべきである」。

「不正確な呼称が明らかな蔑称である場合はともかくとして、不正確に呼称したすべての行為が違法性のあるものとして不法行為を構成するというべきではなく、むしろ、不正確に呼称した行為であつても、当該個人の明示的な意思に反してことさらに不正確な呼称をしたか、又は害意をもつて不正確な呼称をしたなどの特段の事情がない限り、違法性のない行為として容認される」(昭和63年2月16日最高裁判決、民集42巻2号27頁)

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/177/052177_hanrei.pdf

 

 売国的な議員などに腹を立てるのは重々理解できます。

 しかし、くだらない揶揄に心を砕き、反社会的な、秩序に反するような言動をするのではなく、

 先人の言葉を学び、「博愛を行うに、先後緩急の順序あり」、「自国民のことを顧みずして他国民のためにするがごときは、売国奴としてこれを許さず」、「自己に関係の深き者に充分の義務を尽くすと同時に、余力をもって広く他人を愛すべし」といった精神を繰り返し唱えることの方が重要に思います。

 

 また、先に引用した判決文は、私達が理性的であるために役立つものではないでしょうか。

 もちろん、読んでみて納得のいかないところもあるでしょう。しかし、成熟した意見とは、視野を広く持ち、良い点や悪い点と推し量り、検討したうえで結論付ける、そういうものであるということがわかってきます。