令和を駆け抜ける

誣告と讒言を憎む評論。

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

養和について

平家は「奢れる者」として揶揄される。 しかし、平家は天子様を守るため、各地を転々としながらも戦い続けた。これは争いのない歴史的事実である。 時は平安。 養和という新元号が制定され、朝廷もこれを認めた。 鎌倉方(後の鎌倉幕府)はこの新元号を認めなか…

赤穂事件(忠臣蔵)の殿中刃傷

昨日は、旧暦の3月14日だった。 旧暦の3月14日は、江戸時代、元禄14年の頃、浅野内匠頭による殿中刃傷があった。 私は、なぜ浅野内匠頭が斬りかかったのか、気になっている。 浅野内匠頭が認めたことは「遺恨」があるということ。 それ以上の動機は…

蔑称で呼ぶのはどうか

氏名を面白おかしく変えて蔑称にし、その蔑称をウェブ上で公開して用いることは、反社会的ないし秩序に反することではないかと思います。 最高裁は、人格権の一内容として、人には「正確に呼称される人格的利益」があるとしました(昭和63年2月16日最高裁判決…

八紘一宇

八紘一宇。 戦後、この言葉の使用が規制された時期がある。 意味は、「世界を一つの家にする」。 先の大戦について、ポツダム宣言においては日本は世界征服を企んだことになっている。 「世界を一つの家にする」とは、世界を我が支配下に、という意味にも読…

令和について

令和。 和を乱すな、と規律・強制するような印象を受ける。 しかし、その由来を知れば、そこに込められた意味が全く違うことがわかる。 令和は万葉集に由来する。 令和の「令」 これは、「初春の令月」から取った。 この「令」は、御令嬢の令と同じで、尊ぶ…