令和を駆け抜ける

誣告と讒言を憎む評論。

安倍政権後の日本

 私は「アベ政治を許さない」などとのたまう暇があるなら、安倍政権後のことを考えるべきだと思う。

 

1、安全保障

 (1)まず、現在、日本がどういう国際情勢に置かれているのかをみる。

 安倍晋三さんは、セキュリティダイヤモンド構想という考えを示した。

www.project-syndicate.org

 その内容は、インド洋、ハワイ、オーストラリアを結ぶダイヤモンドの領域において、安全保障のために日本が重要な役目を担うべきだ、という趣旨。

 これについてインドは迎合する反面、中国からの利益も得ようとしている。オーストラリアも日本よりと断言しがたい。

 アメリカは、他国への関わりを拡張し続けてきたのを9.11の経験から一転し、保護主義に入り、トランプ氏が大統領となる。

 他方で安倍総理はインド洋を守るために前に出ようというのである。

 安倍総理トランプ大統領の利害が一致し、接近するのは当然の流れに見受けられる。

 

 安倍総理の考え方が日本の利益になるのか、判断に緊張感を要する。

 いまだに沖縄における反米軍基地運動などあるが、日本は安全保障を確保する手段を日米安全保障条約によることを選んだ。

 代替措置を採らない限り、反米軍基地運動には全く意義を見出すことはできない。そして、その代替措置を聞いたことはない。

 北海道においては中国資本が土地を買いあさっているという。

 やはり、日本の危機は高まっているというのが現状であるから、一応、肯定的な評価をしておくのが普通だと思う。

 

 あるいは過大評価かもしれないが、日本は、いわゆるセキュリティダイヤモンド構想、安保法制や一連の安倍総理の外交によって、国際情勢の中で特にアジアの安全保障すなわち平和のために重要な役目を担うものと期待されている、あるいは、そうしなければ信頼を失う状況のように思う。

 

 (2)こういった情勢のなか、我々は安倍総理の設けてくれた状況を承継すべきか。

 アメリカが手を引こうとするアジアの平和のために日本が出ていく。我々は、これを肯定するかどうかを決断しなければならない、あるいは安倍政権を支持し続けたことによりすでに承継することを決断したといえる。

 

 日本は、アメリカがアジアから手を引くなか、日米安保条約を維持して日本の安全を図りつつ、日本が国際的に重要な役目を果たそうという方向に舵を切りつつある。

 そこで、私たちの判断材料として気になるのは日本の国力すなわち経済である。

 

2、経済

 安倍政権は異次元金融緩和とも揶揄された金融政策を行い、円高から円安に転じ、いわゆるデフレスパイラルを抜け出し、GDP増加、物価上昇率も好転した。

 消費増税について非難する者も多いし、その非難については正当性があると思うし、安倍政権下で増税凍結をしてほしいけれども、消費増税はすでに決まったことである以上、私は消費増税のさらなるその先を見据えてどういう方向に舵を切るのかが重要に思う。

 消費増税による経済の冷え込みは、その遅れを取り戻すことが不可能である。また、自民党民主党政権下において失われた50兆円をついに取り戻したと喧伝したが、その遅れを取り戻したわけではないし、日本の経済政策が間違っていたのはその20年も前からのことである。その遅れを取り戻すことはもはや不可能かもしれない。 

ecodb.net

 ここの表を見ればわかるかと思う。1992年頃から日本経済は停滞しており、遅れを取り戻すどころか、元の調子にも戻っていない。

 このような状況のなか、日本はダイヤモンドの領域の安全保障について重要な役割を担うというのである。

 保守層が断固として消費増税に反対することにも納得がいくというものである。

 労働力を増やせばGDPは絶対的に上昇するであろう。

 しかし、その労働者が外国人労働者になるのか、それとも日本人になるのかは、今を基準にいえば20年前の日本人が多くの子供を産み育てたかどうかで決まる。そして、20年後を基準にいえば今の日本人が多くの子供を産み育てたかどうかで決まる。もし、外国人労働者を否定するなら、20年後の日本の経済力は今の我々にかかっているといわなければならない。

 このように考えると、国による福祉を受けるのは間違いなく我々だが、国に福祉を増進させるだけの力を与えるのは我々自身でもあるということがわかる。

 

3、教育

 では、国に福祉を増進させる力を与えるべく、日本の人口を増やすためにはどうすればよいのか。

 私は家庭教育の重要性をとても重く見る。子の養育だけでなく、子の心身の安定のためには健全な家庭環境が必要だ。その家庭環境がどういうものなのか。我々は緊張感をもって深く学び、その認識を研鑽しなければならない。

 また、子の心身の安定と養育のために家庭が必要なことは人類の獲得した経験なのである。しかも、その家庭の構築による子との関わりは人にとって基本的かつ重要な幸福でもある。子の幸福を自分の幸福と感じる人もいると思う。それ自体が私たちの福祉に直接的に重要なのではないだろうか。

 家庭環境そして子との関わりは、子が家の継承者というだけでなく、人として動物としての儚い命をつなぐ命の鎖を断ち切らないことが幸福に深くかかわるというのに、その幸福を知らないままで良い大人を放置しているのかもしれないのである。それはあるいは人生の喪失かもしれない。

 兄弟姉妹の多いことは幸福に大きくかかわる。家のなかに境遇の近い存在がいることは人への深い理解をしたり、様々な学びの機会が増える。また、社会の中において現に人とかかわる際に責任感をもって人とかかわることやリーダーシップを握るうえでとても役立つ。

 しかも、家庭を築き子が増えれば、人口も増え、労働力も増える。そうすれば経済も向上するのである。

 たとえば、18歳になれば運転免許を取るようにいうかもしれないが、都会住みなら車は必要とは言い難い。しかし、家庭を築くことはおよそ必要だといえるのである。今の日本人がこのような認識を持ったことがあるだろうか。

 家庭を持つことの重要性について認識を改めることで日本はよくなると思う。安倍政権がこのような認識を有するか判然としないが、私は安倍政権後ないし現在でもただちに取り組むべきものと思う。

南無

お経の最初は南無から始まる。

 

南無は、古代インド語で「お任せします」「帰依します」という意味だ。

 

日蓮宗などの「南無妙法蓮華経」は妙法蓮華経にお任せしますという意味。

妙法蓮華経はいわゆる法華経のこと。

 

そういえば、仏教では妙法「蓮」華経などと蓮の花が出てくる。仏像も蓮の花に乗っていたりする。

蓮の花は汚い泥の中でも清浄で美しい花を咲かせることから、どんな環境にいても理想的な人間になることができる、そういうことを諭している。

 

「南無大師遍照金剛」は真言宗。「大師」とは弘法大師を指す。遍照金剛は大師様のもう一つの名前。

 

南無阿弥陀仏」は浄土宗。そのまま、阿弥陀様にお任せしますという意味。

 

ここまで考えていふと思い出した。

 

幼少の頃によく読んだ地獄先生ぬ~べ~という漫画で「白衣観音経」(白衣神咒)という呪文があった。

白衣神咒は、「南無大慈大悲救苦救難広大霊感・・・」と始まる。

南無が「大慈大悲」にかかっているなら、「大いなる慈しみの心にお任せします」という意味になるのだろうか。

 

「南無」はお任せします、帰依しますという意味。覚えておくとおもしろいと思う。

 

メモ、令和元年司法試験、知的財産法 第1問 設問1 答案

 素人が試しに特許法部分の問題一部について答案を書きました。内容については信頼しないでください。

 

第一、第1問

1、設問1

 (1)反論

 125条ただし書によれば、123条1項6号に該当し、その判決が確定したときは、本件特許は特許を受けた時から存在しないこととなる。

 そこで、123条1項6号に基づき、特許無効審判請求を行い、Xに特許を受ける権利がないことを主張する。

 35条2項によれば、職務発明にあたらない発明については、あらかじめ使用者等が特許を受ける権利を取得する定めをすることはできない。
 職務発明にあたるというためには、その発明が使用者等の業務範囲に含まれ、かつ、従業者等の現在または過去の職務にあたるといえなければならない。
 本件ではXは法人であって使用者等にあたり、甲はXの従業員であったから従業者等にあたる。
 ア 業務範囲
 業務範囲には、使用者等が現に行っている業務及び将来行うことが確実である業務を含む。
 本件において、Xは食品加工会社であって、その業務は食品の加工にある。食品の加工にあたっては加工食品の製造のために製造工程の実施およびその効率化によって営利を生じるものであるから、業務の範囲は純粋な加工食品の製造工程の実現および効率化にとどまるのあって、本件発明のように成分の測定方法の発明がXの業務に含まれるということはできない。
 イ 職務
 職務とは、業務を遂行するものであって、広く発明完成に至るまでを責務の内容とするものであり、その責務の内容には当然に予定されまたは期待されている場合も含まれる。
 本件においては、Xにおける甲の職務は研究開発にあったものの、Xは食品加工会社であって成分測定の方法についてはそもそも業務に含まれないし、責務の内容として当然に含まれるということもできない。また、甲による本件発明のための研究開発はXから期待されなかったというのであるから、「期待されていた場合」にもあたらない。
 ウ よって、本件発明は、業務範囲に含まれるものではなく、職務にもあたらないため、いわゆる自由発明にあたり、職務発明にはあたらない。
 したがって、Xは本件発明についてあらかじめ特許を受ける権利を取得することはできず、本件特許は無効である。
 (2)妥当性
 ア 業務範囲について、本件におけるように成分Pが食品に付加価値をもたらすのであり、加工食品の市場競争原理のなかで競争力をつける手段として成分Pの測定方法を研究し実施することはなんら不合理ではなく理に適うものであるから、加工食品の製造工程の実現及び効率化のみに限られるということはできない。
 よって、本件発明は業務範囲に含まれる。
 イ 職務について、Xは本件発明について期待しなかったのであるから、当然に予定されまたは期待されていたということはできない。
 他方、成分Pは一般に健康に良いとされていたのであるから、これをより効率よく測定する本件発明は食品加工会社Xの研究開発部門に勤めていた甲の職務となりえないではない。しかし、甲の上司は本件発明に反対していたこと、Xが本件発明について期待していなかったこと、本件においてXが工程aによる測定がされていたという事情もないことに鑑みると、甲の本件発明の完成が職務として負うべき責務の内容となっていたということはできない。
 ウ よって、本件発明は業務には含まれるが職務にはあたらないいわゆる業務発明にあたる。
 したがって、Xは本件発明についてあらかじめ特許を受ける権利を取得することはできない。
 エ 上記(2)ア~ウより、理由は異なるものの結論においては結局のところ同じくXは特許を受ける権利を取得することができず、本件特許を取得できない。

養和について

平家は「奢れる者」として揶揄される。

 

しかし、平家は天子様を守るため、各地を転々としながらも戦い続けた。これは争いのない歴史的事実である。

 

 

時は平安。

 

養和という新元号が制定され、朝廷もこれを認めた。

 

鎌倉方(後の鎌倉幕府)はこの新元号を認めなかった。

 

鎌倉方の侵攻により、平家は天子様(安徳天皇)と共に西へ逃れた。

 

ちなみに、このとき平貞能は、平家の棟梁・平宗盛に対して京での決戦を主張した。

 

その後、京にて三種の神器を欠いたまま後鳥羽天皇が御即位され、平家は滅亡する。

 

 

京での決戦を主張した貞能は賢明であったと思う。

 

されば、後鳥羽天皇の神器なき御即位もなかったはずであり、鎌倉方は京に攻め入る賊としてみられ、平家に味方する者が多かったはずである。

 

 

しかし、宗盛は都落ちを決断した。

 

これも無理からぬことであった。

 

鎌倉方は新元号・養和を否定していた。

 

養和は、安徳天皇が御即位されるに際して制定された。

 

すなわち、鎌倉方は朝廷の権威と安徳天皇の権威を認めていなかったのである。

 

そして、この頃、日本各地で内乱が起きていた。

この頃の内乱では木曽義仲が最も有名であろう。

貞能も九州にて菊池隆直の乱を平定したりした。

 

こういった状況のなか、平家の棟梁・宗盛は、もはや天皇の権威は通用しないとみたのである。

それでも、天皇を守ろうとしたのが平家一門であった。

 

その宗盛を、平家物語は徹底的に侮辱した。

平家物語とはいかなるものか。私にはプロパガンダにしか思えない。

 

平家物語安徳天皇の最期を入水(自殺)と書いた。

信じられるか、と問えば、土台無理な話だ。

このとき、三種の神器は失われた。

 

三種の神器皇位継承の正統性を担保するものである。

 

後に、神器なき御即位をした後鳥羽天皇は鎌倉方に反撃の狼煙をあげる。

が、天皇の権威は既に地に堕ちており、にべもなく敗北する(ただし、この頃は後鳥羽上皇)。

 

 

鎌倉方の源頼朝は平家方に命を救われているのに平家を滅亡に追いやった。

同じく鎌倉方の源義経は、禁じ手である船頭殺しをした。

私は、彼らが、少なくとも平家滅亡の時まで、報恩や忠孝というはるか古来の日本の精神を持っていたとはどうしても思えない。

 

内乱によって、日本が、天皇が、天皇を中心とする国家体制が破壊されたのである。

 

短い鎌倉時代を終えた後、長い長い内乱時代・室町時代を迎えるのである。

 

 

本日は旧暦の3月24日である。

834年前の今日。壇ノ浦にて安徳天皇崩御なされた。

 

この後、後醍醐天皇建武の親政を執られるなど一時的なものを除いて、明治時代まで天皇が国政の中心に据えられることはなかった。

 

あと3日で、新元号・令和となる。

養和のようにならぬことをただただ祈るばかりである。

赤穂事件(忠臣蔵)の殿中刃傷

昨日は、旧暦の3月14日だった。

 

旧暦の3月14日は、江戸時代、元禄14年の頃、浅野内匠頭による殿中刃傷があった。

 

 

 

私は、なぜ浅野内匠頭が斬りかかったのか、気になっている。

 

浅野内匠頭が認めたことは「遺恨」があるということ。

 

それ以上の動機は語らなかった。

 

 

 

その遺恨とは何か。

 

語らないのだから、客観的状況から察していくしかない。

 

 

 

浅野内匠頭吉良上野介の部下として、朝廷からの勅使と院使の接待にあたった。

 

この接待の最後の日、浅野内匠頭吉良上野介を斬りつけた。

 

この接待のときに何かあった、と理解するのがよいだろう。

 

 

 

では、何があったのだろう。ここからは想像だ。

 

浅野内匠頭は、山鹿素行という尊王論的な軍学者の学問、山鹿流兵法の門下生であった。

 

山鹿素行といえば、「常の勝敗は現在なり」という言葉が有名だろうか。

 

ちなみに、かの吉田松陰も山鹿流兵法を学んだ門下生である。

 

浅野内匠頭尊王思想を持っていたのではないだろうか。

 

それゆえに吉良に対して勅使・院使の接待について恨みを持ったのではないだろうか。

 

 

 

このような想像に駆り立てる理由はほかにもある。

 

浅野内匠頭吉良上野介という呼び方だ。

 

内匠頭は官位の一つであり、天皇の家臣を表す。

 

他方、上野介とは、上野介という地域での官位に過ぎない。

 

吉良には侍従という天皇の側近としての官位も有していた。

 

にもかかわらず、あえて上野介と呼ばれている。

 

ちなみに、徳川は実質的には日本を統一支配したといえるものの、形式上では江戸という一地域を治める者に過ぎない。

 

すなわち、浅野内匠頭吉良上野介の対立は、天皇対地方あるいは徳川という構図で理解されたと思うのである。

 

このような構図での理解は、浅野内匠頭尊王論的な思想にあることを前提にしているのではないか、と思うのである。

 

 

 

忠臣蔵は江戸時代から人気があったという。

 

武勇を讃える、忠誠心を讃える。という面もありながら他方で、尊王の精神を忘れることなかれという隠れたメッセージもあった。というのが私の理解である。

 

 

蔑称で呼ぶのはどうか

 氏名を面白おかしく変えて蔑称にし、その蔑称をウェブ上で公開して用いることは、反社会的ないし秩序に反することではないかと思います。

 

 最高裁は、人格権の一内容として、人には「正確に呼称される人格的利益」があるとしました(昭和63年2月16日最高裁判決、民集42巻2号27頁)。

 この人格的利益を侵害すると損害賠償責任を負うおそれがあります。

  

 以下、判決文の一部です。

「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有するものというべきである」。

「不正確な呼称が明らかな蔑称である場合はともかくとして、不正確に呼称したすべての行為が違法性のあるものとして不法行為を構成するというべきではなく、むしろ、不正確に呼称した行為であつても、当該個人の明示的な意思に反してことさらに不正確な呼称をしたか、又は害意をもつて不正確な呼称をしたなどの特段の事情がない限り、違法性のない行為として容認される」(昭和63年2月16日最高裁判決、民集42巻2号27頁)

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/177/052177_hanrei.pdf

 

 売国的な議員などに腹を立てるのは重々理解できます。

 しかし、くだらない揶揄に心を砕き、反社会的な、秩序に反するような言動をするのではなく、

 先人の言葉を学び、「博愛を行うに、先後緩急の順序あり」、「自国民のことを顧みずして他国民のためにするがごときは、売国奴としてこれを許さず」、「自己に関係の深き者に充分の義務を尽くすと同時に、余力をもって広く他人を愛すべし」といった精神を繰り返し唱えることの方が重要に思います。

 

 また、先に引用した判決文は、私達が理性的であるために役立つものではないでしょうか。

 もちろん、読んでみて納得のいかないところもあるでしょう。しかし、成熟した意見とは、視野を広く持ち、良い点や悪い点と推し量り、検討したうえで結論付ける、そういうものであるということがわかってきます。

 

 

八紘一宇

八紘一宇

 

戦後、この言葉の使用が規制された時期がある。

 

意味は、「世界を一つの家にする」。

 

 

 

先の大戦について、ポツダム宣言においては日本は世界征服を企んだことになっている。

 

「世界を一つの家にする」とは、世界を我が支配下に、という意味にも読める。

 

 

 

しかし、家とは、助け合いをすべき1つの集団。

 

もちろん戦前でも。

 

 

 

「八紘一宇」の本来の精神は、世界の人々あるいは国々と助け合いをすることではないか。

 


事実、日本は大東亜共栄宣言において、「互助敦睦の実を挙げ、東アジア全体の親和を確立する」と掲げた。

 

互助敦睦(ごじょとんぼく)とは、互いに助け、友好を促進するという意味。

 

そして、日本は、アジア解放を目的として、東アジアのために当時宗主国として東アジアを植民地にしていた連合国と戦う。

 

 

 

これは「八紘一宇」が侵略を正当化するスローガンと言われる所以でもある。

 

「正当化」。あたかも嘘によって正当性を持たせ、その実は侵略をしたと言うのだろうか。

 

日本が「侵略をしたのか」。それは当時の国際法において、疑問に付される。

 

 

 

連合国軍の占領により、日本の家制度は廃止される。

 

今、「家」は何のためにあるか。

 

家はどんな効果をもたらしているか。

 

家にはどんな役割があるか。

 

それは、家族の扶養、家族の心身の安定、すなわち「互助敦睦」である。

 

知らず知らず、私達は家をそういう場所と思っている。

 

 

 

しかし、今の私たちは他人の「互助敦睦」という秩序のために命を懸けるだろうか。

 

他人の家で虐げられる人がいても、よそはよそ、うちはうち、と思うのではないか。

 

私達はとても大切なものを忘れてしまったのではないかと、

 

とてもとても強く危惧する。