令和を駆け抜ける

誣告と讒言を憎む評論。

歴史観そのもの

歴史観歴史教育

 我が国の行動と結果を眺めて、我が国はどんな国なのかを理解するために歴史教育は重要だ。

 たとえば平安末期をみると、

事実1:平清盛日宋貿易により莫大な利益を得た。

事実2:平清盛日宋貿易の際に、宋銭を大量に輸入し、日本の経済基盤を大幅に強化した。

事実3:各地で力を蓄えた武士が反乱を起こす。

 私には、源氏方・鎌倉方は平清盛から恩恵を受けながら、仇で返したように見える。

 同じ失敗・歴史を繰り返さないために、また我が国特有の国家観・政治観・倫理観を備える。こういうところに歴史教育の重要性がある。

 

 他方、ありふれた歴史観では、平清盛は傲慢な振る舞いをし、平家は貴族化し、栄華を極めて傲慢になったから滅びた。滅びるべきだった。当主の宗盛は命乞いをして惨めで情けなかった。といった具合である。

 このありふれた歴史観がなければ、多くの人は平清盛という名前を覚えなかったかもしれない。

 

 このありふれた歴史観に対する反駁は腐るほど言いたいことがあるが、置いておく。

 こうして考えてみると、義務教育にて、特定の歴史観から歴史的事実を教わることには、ある程度の合理性がある。

 その合理性は、次の利点に支えられる。1つ、とりあえず歴史的事実を知ることができる。2つ、議論の始まりのコンセンサスを得ることができる。3つ、そのコンセンサスから反駁・反論という形で議論の構築をすることができる。

 

 もし、歴史観などなく、子供にいきなり歴史的事実のみを伝えると、なんでその人はそうしたの?という疑問だけが残り、わけのわからないままで授業が終わってしまう。

 また、多角的に歴史を見ようとしたときに、まず反駁・反論の対象となるべきコンセンサスがある方が多くの人が議論を理解できるし、議論の構築も容易になる。

 

歴史観歴史学

 自分なりの歴史観を構築したいと思っている人は、世の中けっこう多いのではないだろうか。

 

 歴史学を学んだ人は思うかもしれない。歴史的事実がどれだけ確からしいか、あるいは歴史的事実の経緯が学問的に決着がついているのに、その歴史的事実やその経緯を過小評価したり、過大評価していることは、不見識が極まりないと。

 

 もちろん、学問というのは極めて理性的に構築されなければならない。

 だが、真実は誰も知らないのである。学問によって真実らしいものを見出すことができるだけである。素人の歴史観を学問によって否定することは容易なのだろうが、絶対的に否定することはできない。

 素人の歴史観を絶対的に否定することはできない。ということに思いを致すと、その素人の歴史観を否定することに加え、肯定することも学問の役目なのではないだろうかと思う。

 学問も議論の構築によって成り立つ。そこでは論理性を損なわないよう注意を払いつつ経緯の推論や事実への評価も行う。そして反論を想定するのである。

 反論を想定したときに削る推論や評価もあるだろうと思うが、究極は真実など誰も知らないのだから、むしろ徹底的に行き過ぎた推論・評価があってもよいはずである(無論、反論もそれだけ多くなるが)。

 それに、行き過ぎた推論・評価が素人の歴史観の助けともなるだろうし、多くなった反論は再反論の機会を生むのである。

 私は平安から源平合戦の頃にかけて平家善玉論ともいうべきほどに平家擁護派であるが、私の歴史観からいえば、もっと行き過ぎた平家擁護を読みたいし、そのなかから私の肯定できる部分があればもっと取り入れたいのである。

 突然だが、私は民族統一主義という右翼的思想には大反対である。廃仏毀釈によって神仏習合を破壊したのも許しがたい。そして、私が平家擁護の歴史観を持つのは、平氏の子孫だからであるが、日本には源平藤橘の姓に始まり、あまりにも多くの氏族とその子孫がいる。私は各氏族にその誇りを取り戻して欲しいと思っている。

 その誇りを取り戻すためにこそ、歴史学がその深淵を見せ、碩学が成果を見せつけるべきだと思うのである。

 

結び

 歴史教育がコンセンサスを確立するのに役立つのであるから、歴史教育では反論を待つ目的で歴史観を示していけばよい。

 そう考えると、はじめから日本に対して批判的なところから始まるのは正常ではない。やはり、正当性の主張がまずあって、それに対して発展的に批判する・反論する、というのが正常な議論の構築であろう。

 また、日本の歴史には多くの氏族が登場する。当然、その子孫も現在でも多くいるのである。各氏族の正当性という発展的な方向への歴史観の構築のためにも、歴史学の見識が提供されていってもよいのだと思う。