令和を駆け抜ける

誣告と讒言を憎む評論。

学問のすすめと硬性憲法

硬性憲法に関する諸問題

 硬性憲法とは、改正手続が法律制定の手続よりも条件が厳しい憲法のことをいいます。これに対して、改正手続が法律改正よりも厳しくない憲法軟性憲法といいます。

 たとえば、自民党改憲案は国民投票を維持するので、硬性憲法にあたります。現行憲法の改正手続は議会3分の2に加え、国民投票を要求するもので最も厳しいレベルの硬性憲法であるといえるでしょう。

 

 硬性憲法とするのか、軟性憲法とするのか、硬性憲法とするとしても、どの程度の厳しさが必要なのでしょうか。

 大多数の国民が継続的に国政に関心を持ち、かつ、見識を備えているならば、憲法の改正手続が容易であったとしても、民主制の機能により適正になされます。つまり、国民が国政に深い関心と見識を持っているなら軟性憲法でよいということですね。

 これを逆からいえば、大多数の国民が継続的に国政に無関心であり、民主制の機能があまり発揮されていない場合には、議会が国民の意を反映することを期待できないため、国民の意に反する改正を防止するべく、あらかじめ憲法改正手続は厳しいものでなければなりません。結論をいいますと国民が国政に無関心なら、硬性憲法が望ましいということになります。

 

 そうすると、自民党改憲案が硬性憲法を維持していることは、投票率の低さを考えると無理からぬところと思います。不当と断ずるのは難しいです。

 ところが、ここまでの説明を逆手に取るようですが、現行憲法については特別な事情が絡んできます。

 現行憲法は連合軍占領時に制定されたものであり、GHQの意向に基づき制定されたものです。現行憲法の成立手続については諸説ありますが、明治憲法における改正手続に則り、一応適正になされたといえます。しかし、その内容には国民の意思が反映されているかどうか疑問に付さざるを得ないのであり、現行憲法硬性憲法となっていることは、GHQの意向を含む憲法を改正することを最大限に禁ずるだけのものであり、本来の国民の意に反する改正を防止するという趣旨に出るものではありません。むしろ、国民の意に沿う改正がなされるためには、改正が容易なものでなければなりません。

 

 このように考えると、安倍晋三総理は2014年頃「たった3分の1の国会議員が反対することで、国民投票で議論する機会を奪っている。必要性を訴えていきたい」として、改正手続発議の要件を問題視しましたが、今思えばこれは当を得るものでした。2014年は戦後69年です。仮に、日本国憲法の趣旨・目的を理解させるための期間を要し、その期間を設けることが妥当であったとしても、あまりにも長すぎる期間にわたって国民の意を反映する機会を奪い続けてきたわけです。

 こういうことを述べると、国民の政治への無関心が3分の2の議席確保に至らない原因ではないか、という指摘をする者がいるでしょうが、それは本来越えなくてよいはずのハードルを越えろと豪語する見当違いの指摘であって、改正手続を厳しくするべきでなかったという批判に対する反論になっていません。

 しかしながら、憲法改正要件を緩和すべく憲法改正をすべきだとしても、一時的にでも大多数の国民が関心を持ち、かつ、見識を備え、3分の2以上の議席確保に至らねばなりません。すなわち、国政の運営そのものの議論ではなく、手続の議論に対して大多数の国民が関心と見識を持たなければなりません。これもまた改正手続が厳しすぎることを示していますが、他方においては、現実に改正するためには越えなくてもよいはずのハードルを越えなければならないのです。

 

学問のすすめと民主制

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という文言で知られる福沢諭吉先生の学問のすすめ

 学問のすすめでは、民主制を念頭に置き、国民として備えるべき様々な心構えを説いています。

 「一身独立して一国独立すること」のための三か条のうち「第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」についての説明の一部を引用しました。

 仮りにここに人口百万人の国あらん。このうち千人は智者にして九十九万余の者は無智の小民ならん。

 智者の才徳をもってこの小民を支配し、あるいは子のごとくして愛し、あるいは羊のごとくして養い、あるいは威しあるいは撫し、恩威ともに行なわれてその向かうところを示すことあらば、小民も識らず知らずして上の命に従い、盗賊、人殺しの沙汰もなく、国内安穏に治まることあるべけれども、もとこの国の人民、主客の二様に分かれ、主人たる者は千人の智者にて、よきように国を支配し、その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。

 すでに客分とあればもとより心配も少なく、ただ主人にのみよりすがりて身に引き受くることなきゆえ、国を患うれうることも主人のごとくならざるは必然、実に水くさき有様なり。

国内のことなればともかくもなれども、いったん外国と戦争などのことあらばその不都合なること思い見るべし。

無智無力の小民ら、戈をさかさまにすることもなかるべけれども、われわれは客分のことなるゆえ一命を棄つるは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。

 さすればこの国の人口、名は百万人なれども、国を守るの一段に至りてはその人数はなはだ少なく、とても一国の独立は叶ない難きなり。

 右の次第につき、外国に対してわが国を守らんには自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々、貴賤きせん上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も目くらも目あきも、おのおのその国人たるの分を尽くさざるべからず。

 ここでは時代背景があり、ロシアを含む欧米列強への危機感と国の安全保障を念頭に置いており、国を守るためには国民の大多数が学問を修めなければならないという文脈になっています。

 しかし、現実に3分の2の議席を勝ち取り、しかも国民投票過半数を得るためには、国民の大多数が関心を持ち、見識を深めなければなりません。

 そのためにはどうすべきかと考えたときに、学問のすすめを参考にすると次のようなことに思いが至ります。つまり、国政やら憲法改正やらは考えるべき人が考えてくれているから大丈夫、この人の言うことを聞いていれば大丈夫、などと人任せをする人は、いざ選挙ないし国民投票をするとなれば、結局は自分の考えではないので選挙に行かなかったり国民投票に行かなかったりするのではないでしょうか。

 あくまで、御自分の見識に基づき、原理原則に基づき、御自分の結論を導き出すことで、御自分の意見となります。

 その意見は我が国が民主制を採る限り、選挙・投票によって反映しなければ、投票率の低下という形で現れ、国政は民意が必ずしも反映されていないと評価されます。また、投票率が低いということは、今後の国の方針そのものを左右します。

 最後に、差し出がましいようですが、いうまでもなく私の書いた記述のすべてが絶対的に正しいなどと思わないでください。御自分の価値観や理性に基づき、採用できる部分があれば採用していただき、採用できない部分があれば否定していただき、正しいとも間違っているとも何とも思わない部分であれば無視するのが無難です。そうすることによって御自分の意見を構築することの一助となれれば、最上の喜びとなります。

 

 

 以上、読んでくださってありがとうございました。