消費税増税し、習近平を国賓に迎える。
ツイッターを見ていると、保守的だった人まで安倍政権の批判を始めました。
その要因は次の二つのものが主です。
①消費税増税
私は、どうもこれだけで酷評することはそれ自体が酷であると思えてなりません。
上記二つの要因は、もともと保守的で安倍総理率いる自民党を支持していた人が手の平を返すような要因となりうるのでしょうか。
①消費税増税
これに関しては、10%まで上げることが三党合意によって定まっていました。そのため、このときの三党の構成員とこれを推した経済界が政治的責任を負う結果となります。
政治的責任というのは政治家であれば失脚しかねない、経済界の方であれば政治的発言の信用を失うということですね。
また、この三党合意の際に構成員でなかった者で消費増税をどうのこうの言う者がいますが、三党の者達よりも信頼に足るのかという疑問が付されねばなりません。
ちなみに、第二次安倍政権は異次元金融緩和と揶揄されましたが、大規模な金融緩和を実現しました。これは画期的で、安倍総理は失われた50兆を取り戻したと堂々と宣言しました。事実、名目的GDPは上昇し、後に実質GDPも上昇しました。
これは現に日本の回復のための基礎を築いたものといわざるを得ません。
それで民主党政権下で経済界も後押しした三党合意に基づく消費増税を理由にしていまごろになって責任を負わせるのですか?
それは不意打ちであるだけでなく、これ以上ない成果があるのに無視をして、あるいは、過小評価して、少しの失敗をこれでもかと大きく評価しているものといわざるを得ません。
はっきりいって、消費増税を理由に自民党に難癖をつけるのはおよそ無理筋です。
②習近平を国賓に迎える
こちらを根拠に自民党を非難する方がまだ説得力があります。
それでも、五十歩百歩というか、どんぐりの背比べ程度の違いしかありません。
習近平を国賓に迎えるということは、習近平が天皇陛下の客人として迎えられるということになります。
現在の国際社会においては、習近平の率いる中共が香港に対する弾圧やウイグル人強制収容所などの人権問題が提起されており、中共が人民に対して非常に弾圧的・侵害的であると認識されています。
そのようななかで、習近平を国賓に迎えるということは、国際社会に対して天皇陛下の印象を間違った形で伝えてしまうのではないか、という示唆がなされているわけです。
これはこれで、なかなかに説得力があります。
他方において、そもそも現在の日本は、国際社会からどういう国だと思われようとしているのでしょうか。
近年、国際社会において、安倍総理が積極的平和主義や集団的自衛権、法の支配などの理念を述べつつ外交を行いました。そのなかでももっとも国際社会にとって決定的だったと思われるのは、インド太平洋構想(セキュリティ・ダイヤモンド構想)と呼ばれるものです。これについては以前に説明しましたので手短に説明します。
インド太平洋構想においてはインド洋、日本、ハワイ、そしてオーストラリア。この四点を結ぶ領域の安全については、日本が重要な役目を担うべきだとされました。
そして、日本国民は、これを述べた安倍総理を三選まで支持したわけです。
そのため、国際社会において、日本は安全を重んじなければならないわけですが、安全を高める手段には「軍事力の強化」と「外交をすること」が挙げられます。
そこで、安保法制、特定秘密保護法、組織的犯罪処罰法などを整備し、日米の連携を強めました。これらは、日本が日米安保により安全を確保することになっている以上、軍事力の強化により、安全を高めるための手段として妥当な行動をしているといえます。
外交においては、相手におもねり、雷同することも安全を害しますが、完全な敵対的態度をとることも安全を害します。
もし、日本が諍いを起こすことを目的とせず、安全を確保することにのみ目的を有しているのならば、外交も軍事力の強化と同様に重んじるはずです。
つまり、日本のこれまでの行動の一貫性からみて、日本はインド洋からハワイまでの太平洋の安全を担い、その日本の確保しようとする安全確保の重要性に鑑みれば、外交を重んじるべく、習近平を国賓として迎えるべきだ、ということになってきます。
もちろん、国際社会において、中共の抱える問題を肯定するメッセージになる、というリスクもあります。
しかしながら、これまでに示した理由を踏まえると、国際社会の潮流に迎合して、これまで日本自身が国際社会へ発信してきたものを無視した行動をとる方があまりに不自然です。これまでの一貫した発言・行動は何だったのかという話になります。
日本はあくまで安全を重んじる行動を選ぶべきです。
そして、それが天皇陛下への印象を間違った形で伝えることになるのでしょうか?
それをいうのは無理がありますね。
あとがき
正直なところ、アメリカやNATOが対中への対立を深めていることをどれほど重く見るべきか、ということに迷いがないといえば嘘になります。
しかし、日本は国際社会に通用する論理に基づき、日本のために、かつ、国際社会のために行動すべきです。
そうすると、上記のような結論が妥当であるということに至りました。
安倍総理もトランプ大統領も習近平による解決を期待するという形で取り込もうとしています。それが最も安全に資するのではないか、と思うのです。
にもかかわらず、国際社会が日本を非難するとしたら、それは国際社会こそが安全のための最良な選択をするにあたって誤った選択をさせようとしているのではないかと思います。
差別に関する随筆
そもそも差別とは
差別は多義的な用語です。
つまり、差別と一口に言っても、複数の意味があります。
差別の意味を煮詰めれば次の3通りの意味に限定することができるでしょう。
①差別とは、ある基準に基づいて待遇に違いをつけること。
この概念はとても広く多くのものが該当します。
たとえば、イケメンが好き! というと、この①の差別に該当します。イケメンという基準に基づいて好き嫌いという待遇に違いがあるからです。
裏を返せば、上記のような他愛のないものも①の差別に該当するのだから、①の差別に該当するからといってそれ自体は悪いこととは限らないといえます。
②差別とは、特定の人々への蔑視に基づいて待遇に違いをつけること。
差別問題が深刻な差別として認識されたのはアメリカにおける黒人奴隷とそれに由来する蔑視があり、この蔑視に基づき待遇がきわめて不利益であったことです。
なかには深刻な差別があったものとしてわざわざ捏造して、その捏造した問題に由来する蔑視があると主張する変な人達がいたりもします。
また、蔑視というものが正当性を持つこともありえます。犯罪者集団が犯罪をやめないときに、その犯罪者集団が倫理に悖る連中だと毛嫌いされて不利益を被っても仕方ありません。
ちなみに、ここでの差別も蔑視だけでは成立せず、待遇の違いがつかないと差別になりません。
③差別とは、不合理な基準に基づいて待遇に違いを付けること。
③の差別とは逆に「合理的な」差別は、「差別と区別は違う」という表現を借りれば区別に該当します。
具体例を出しますと、子供の頃、つばめ君が遊園地のジェットコースターの列に並びました。いよいよ自分の番が来てジェットコースターに乗れます。しかし、身長制限のために乗ることができませんでした。つばめ君は悲しそうに去っていきました。
これは身長による差別ではないでしょうか。
身長制限の目的は搭乗者の身体・生命の危険を回避し、安全を確保するという正当な目的に出るものです。すなわち、「合理的」な基準に基づくものといえるため、不合理な基準に基づく差別には該当しません。
また、①の差別を「差別」と呼び、ここでの③の差別を「許されない差別」と呼ぶことで、多義的な差別の議論を整理できます。
ただ、③の差別をあえて差別と呼ばず、「区別」と呼ぶのが無難だと思います。
各差別概念の関係
ここでの差別の各概念の論理関係としては、①の差別には②も③も含まれますが、②と③は必ずしも重なり合うわけではありません(図参照)。
この図はベン図と呼ばれ、論理関係を説明するときによく使われます。
②の差別は蔑視に基づくのだから、必ず③の差別の不合理な基準に基づく差別に含まれるのでは? という反論を想定できます。
しかし、純粋に論理関係を整理しようとしたとき、「合理的」な基準に基づく差別であっても、その差別がさらに蔑視も含まれていることがありえます。
そして、もちろん、蔑視に基づく差別であり、かつ、不合理な差別にあたるものも考えられるわけです。
このように、差別という概念はその意味自体が多義的であり、どの差別をもって許されないとするかという判断基準を一致しなければ、議論がかみ合うことはありません。
差別主義者による差別主張
昨今の差別主張は、わざわざ自らを貶めて差別を叫ぶ変なもののように思います。
民族差別
従軍慰安婦強制連行(後に性奴隷強制連行と呼ぶ)などという民間業者による募集をあたかも軍による強制とする捏造があったり、徴用工についてもその実態は募集をかけて行ったものであるのに強制されたと捏造されました。
こういった深刻な差別があったことにして、その差別意識すなわち蔑視が今でも続いているという論調をもって民族差別を主張するわけです。これを差別主張Aと呼ぶことにします。
また、ヘイトスピーチに関しても、ヘイトスピーチ=差別表現とすり替えられていますが、ヘイトとは憎悪の意味であり、ヘイトスピーチとは憎悪表現を指していました。
もちろん、蔑視に基づく憎悪表現もありうるわけで、ときに差別表現も含まれうるでしょう。しかし、ここにいう差別の意味は、先に述べた②の意味に該当します。
すでに述べたように蔑視に基づく差別にも合理的的な差別もありえます。すなわち、合理的なヘイトスピーチもありうるわけです。
合理的なヘイトスピーチにどんなものが考えられるかというと、たとえば、従軍慰安婦強制連行捏造や徴用工捏造により日本の名誉を徹底的に貶める集団があるとします。そのような集団の行為は、不実によって日本の国際的な発言力や影響力を削ぐ目的に出るものであり、日本国民に対する不実による侮辱のなかでも極めて悪質であると非難するとします。
そのような非難をしても、その集団が不実に基づく主張をやめなかったとします。そこで、その集団を倫理に悖る不逞の輩という蔑視に基づき、その集団のことを品位の劣った卑怯者だと主張したとします。
これは倫理に悖る行為を許さないとする目的に出るものであり、合理的なヘイトスピーチといえます。
川崎市で本邦外出身者に対するヘイトスピーチを罰する条例が成立する見通しとのことですが、これでは合理的なヘイトスピーチさえも萎縮させることになります。
このように、自ら不実によって日本国民を貶め侮辱することで憎悪される要因を作っておきながら、反撃されれば差別を叫ぶわけです。これを差別主張Bとします。このとき反撃した者は罰せられるおそれがあるのです。
ツイッターでは「このままでは日本人は【何を言っても許されるサンドバッグ】にされます」と表現する方もいましたが、その通りのように思います。
今回のことで厄介なのは、世間が差別主張Aと差別主張Bを混同するおそれがあることです。
ちなみに、私はこの問題は表現の自由の問題ではないかと思っています。しかし、表現の自由に対する不当な制約だ、と主張する人は少ないように思います。それはやはり、ヘイトスピーチをする自由があると主張しなければならなくなりますから、それは無理だろうと考えているのだと思います。
男女差別
女性の社会運動を推進する人たちは、「女性を家庭に閉じ込めるな」という意味不明な主義主張を持っていたりします。
実際にはただの人間関係に疲れているだけではないでしょうか。
そもそも、女性が家にいてもいいというのは、女性が勝ち取った権利です。男性は子供が産めませんから、女性がいつでも懐妊して子を産めるよう、男性が働いてお金を稼ぎ、女性が家にいて家事・育児をするのが効率的でした。
しかし、庶民はそうもいかず、江戸時代でも庶民の女性は社会に出て働いていましたし、明治以降の大正時代を迎えても工業化が進む中で女性は工場で働くなどしていました。
次第に裕福になるにつれて、女性は家にいることができるようになりました。
このまま女性が子供を産む環境が整ったままではどんどん人口が増えると危惧したのでしょうか? 戦後しばらくして女性の社会進出を叫ぶ人達が闊歩します。
ちなみに、女性が社会進出しても少子化の原因にはならないと豪語する人もいるでしょう。しかし、よほど裕福な社会でない限り、懐妊・出産の機会は確実に減るのではないでしょうか。
せっかく、効率性と人命の誕生のためというこれ以上ない正当性をもって家にいることができる権利なのに、これをあたかも悪であるかのように踏みつけて、「家庭に閉じ込めるな」だの、「女は子供を産む機械じゃない」だのといって自ら女性を貶め、神聖な新たな生命の誕生さえも機械などといって貶めるのでしょうか。
女性が自ら女性を差別し貶める、きわめて悪質な言論が多いと断ぜざるをえません。
私は思います。
少子化を止めるために最低でも3人は産みましょうとスピーチした校長が責め立てられるなど。3人も生まれたらおめでたいのではないでしょうか。それともおめでたいと言うのはただの嘘で、本当はどうでもいいのでしょうか。人命は尊いです。その人命を産める女性は尊いのです。なぜそれをあえて貶めるのでしょうか。それとも、本気で人命は軽いと、いらないのだと、思っているのでしょうか。「私の自由のためならば、人命など生まれてこなくてよい」と堂々と言う勇気もないくせに、卑怯にもほどがあると思います。
あと、子供を産めない人のことも考えろなどといいますが、価値あることはその価値を忘れないよう、価値があるといわねばなりません。お世話になったら必ずお礼を言うのと同じです。子供を産めない人にもできることはあると思います。迷いなく自分の道を追求すればよいはずです。わざわざ根性悪のように尊いものを尊いと言うな。私にはないから気分が悪いなどというのは人格が劣っているからにほかなりません。
あとがき
差別主義者による差別主張としては他にも同和問題などありえますね。
大した肩書もない私の書いた文章をここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
学問のすすめと硬性憲法
硬性憲法に関する諸問題
硬性憲法とは、改正手続が法律制定の手続よりも条件が厳しい憲法のことをいいます。これに対して、改正手続が法律改正よりも厳しくない憲法を軟性憲法といいます。
たとえば、自民党改憲案は国民投票を維持するので、硬性憲法にあたります。現行憲法の改正手続は議会3分の2に加え、国民投票を要求するもので最も厳しいレベルの硬性憲法であるといえるでしょう。
硬性憲法とするのか、軟性憲法とするのか、硬性憲法とするとしても、どの程度の厳しさが必要なのでしょうか。
大多数の国民が継続的に国政に関心を持ち、かつ、見識を備えているならば、憲法の改正手続が容易であったとしても、民主制の機能により適正になされます。つまり、国民が国政に深い関心と見識を持っているなら軟性憲法でよいということですね。
これを逆からいえば、大多数の国民が継続的に国政に無関心であり、民主制の機能があまり発揮されていない場合には、議会が国民の意を反映することを期待できないため、国民の意に反する改正を防止するべく、あらかじめ憲法改正手続は厳しいものでなければなりません。結論をいいますと国民が国政に無関心なら、硬性憲法が望ましいということになります。
そうすると、自民党改憲案が硬性憲法を維持していることは、投票率の低さを考えると無理からぬところと思います。不当と断ずるのは難しいです。
ところが、ここまでの説明を逆手に取るようですが、現行憲法については特別な事情が絡んできます。
現行憲法は連合軍占領時に制定されたものであり、GHQの意向に基づき制定されたものです。現行憲法の成立手続については諸説ありますが、明治憲法における改正手続に則り、一応適正になされたといえます。しかし、その内容には国民の意思が反映されているかどうか疑問に付さざるを得ないのであり、現行憲法が硬性憲法となっていることは、GHQの意向を含む憲法を改正することを最大限に禁ずるだけのものであり、本来の国民の意に反する改正を防止するという趣旨に出るものではありません。むしろ、国民の意に沿う改正がなされるためには、改正が容易なものでなければなりません。
このように考えると、安倍晋三総理は2014年頃「たった3分の1の国会議員が反対することで、国民投票で議論する機会を奪っている。必要性を訴えていきたい」として、改正手続発議の要件を問題視しましたが、今思えばこれは当を得るものでした。2014年は戦後69年です。仮に、日本国憲法の趣旨・目的を理解させるための期間を要し、その期間を設けることが妥当であったとしても、あまりにも長すぎる期間にわたって国民の意を反映する機会を奪い続けてきたわけです。
こういうことを述べると、国民の政治への無関心が3分の2の議席確保に至らない原因ではないか、という指摘をする者がいるでしょうが、それは本来越えなくてよいはずのハードルを越えろと豪語する見当違いの指摘であって、改正手続を厳しくするべきでなかったという批判に対する反論になっていません。
しかしながら、憲法改正要件を緩和すべく憲法改正をすべきだとしても、一時的にでも大多数の国民が関心を持ち、かつ、見識を備え、3分の2以上の議席確保に至らねばなりません。すなわち、国政の運営そのものの議論ではなく、手続の議論に対して大多数の国民が関心と見識を持たなければなりません。これもまた改正手続が厳しすぎることを示していますが、他方においては、現実に改正するためには越えなくてもよいはずのハードルを越えなければならないのです。
学問のすすめと民主制
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という文言で知られる福沢諭吉先生の学問のすすめ。
学問のすすめでは、民主制を念頭に置き、国民として備えるべき様々な心構えを説いています。
「一身独立して一国独立すること」のための三か条のうち「第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」についての説明の一部を引用しました。
仮りにここに人口百万人の国あらん。このうち千人は智者にして九十九万余の者は無智の小民ならん。
智者の才徳をもってこの小民を支配し、あるいは子のごとくして愛し、あるいは羊のごとくして養い、あるいは威しあるいは撫し、恩威ともに行なわれてその向かうところを示すことあらば、小民も識らず知らずして上の命に従い、盗賊、人殺しの沙汰もなく、国内安穏に治まることあるべけれども、もとこの国の人民、主客の二様に分かれ、主人たる者は千人の智者にて、よきように国を支配し、その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。
すでに客分とあればもとより心配も少なく、ただ主人にのみよりすがりて身に引き受くることなきゆえ、国を患うれうることも主人のごとくならざるは必然、実に水くさき有様なり。
国内のことなればともかくもなれども、いったん外国と戦争などのことあらばその不都合なること思い見るべし。
無智無力の小民ら、戈をさかさまにすることもなかるべけれども、われわれは客分のことなるゆえ一命を棄つるは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。
さすればこの国の人口、名は百万人なれども、国を守るの一段に至りてはその人数はなはだ少なく、とても一国の独立は叶ない難きなり。
右の次第につき、外国に対してわが国を守らんには自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々、貴賤きせん上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も目くらも目あきも、おのおのその国人たるの分を尽くさざるべからず。
ここでは時代背景があり、ロシアを含む欧米列強への危機感と国の安全保障を念頭に置いており、国を守るためには国民の大多数が学問を修めなければならないという文脈になっています。
しかし、現実に3分の2の議席を勝ち取り、しかも国民投票で過半数を得るためには、国民の大多数が関心を持ち、見識を深めなければなりません。
そのためにはどうすべきかと考えたときに、学問のすすめを参考にすると次のようなことに思いが至ります。つまり、国政やら憲法改正やらは考えるべき人が考えてくれているから大丈夫、この人の言うことを聞いていれば大丈夫、などと人任せをする人は、いざ選挙ないし国民投票をするとなれば、結局は自分の考えではないので選挙に行かなかったり国民投票に行かなかったりするのではないでしょうか。
あくまで、御自分の見識に基づき、原理原則に基づき、御自分の結論を導き出すことで、御自分の意見となります。
その意見は我が国が民主制を採る限り、選挙・投票によって反映しなければ、投票率の低下という形で現れ、国政は民意が必ずしも反映されていないと評価されます。また、投票率が低いということは、今後の国の方針そのものを左右します。
最後に、差し出がましいようですが、いうまでもなく私の書いた記述のすべてが絶対的に正しいなどと思わないでください。御自分の価値観や理性に基づき、採用できる部分があれば採用していただき、採用できない部分があれば否定していただき、正しいとも間違っているとも何とも思わない部分であれば無視するのが無難です。そうすることによって御自分の意見を構築することの一助となれれば、最上の喜びとなります。
以上、読んでくださってありがとうございました。
朝鮮系日本人の誇り
※フィクション
私はかつて朝鮮人であった男。
私のかつての本名は金垃燕。キム・ラインと読む。17歳の頃にかつての本名を知った。
「木村つばめ」はかつての通名だった。今は本名である。
西暦2019年現在、30歳を過ぎ、嫌韓が蔓延る言論を見て胸が痛まないといえば嘘になる。
しかし、確固たる決意のもと、私は日本へ帰化したのである。
その決意とは何か。
朝鮮系日本人の誇りを取り戻す。という決意である。
いかなる過程で決意に至ったのか。
同じ立場にある朝鮮系日本人の方には是非とも知って欲しい。
私は幼少から日本の学校へ通い、日本の教育を受けながらも、朝鮮の(かつての)同胞から反日を吹き込まれた。
日本人は関東大震災の際に朝鮮人虐殺を行った。朝鮮人を蔑視し、就職にも差別をした。男は徴用工という制度で強制的に労働を科せられ、女は従軍慰安婦として強制的に連行され、性的搾取がされた。
しかし、日本人の規範意識の高さは世界水準を明らかに超えている。
古い国、裕福な国は腐るほどあるのに、日本よりも規範意識の高い国は存在しないほどである。日本と同レベルの規範意識を持つ国といえば、デンマークがかろうじてあげられる。
なにより、この目で見てきた日本人の祖父が残酷なことをできたとはとても思えない。
私は思う。
日本がかりそめの姿を世界に示し、過去の悪事を覆い隠そうとしている、などというのは間違いなく妄言だ。一夕一朝でできるものではない。
そして、そのような規範意識の高い国が朝鮮人に対して差別的であるとしたら、何か理由があるのではないか、あるいは差別にまっとうな理由がないのかもしれない。
あるいは、差別自体が嘘にまみれているのか、それとも、日本人は本当に残虐な連中なのかもしれない。
真実は誰も知らない、という現実がある。
その目で見た人しか真実は知らない。だから、言った者勝ちというのは真実ありうる。
他方で、歴史的事実は誰でも知ることができるが、その歴史的事実はほんのわずかしか真実を裏付けられないのが現実である。
そのほんのわずかの真実を大量にかき集め、日本というものが私の故郷でありながら敵であるのか、見極めよう。
19歳の頃、大学の図書館で様々な資料を読んだ。
その結果、慰安婦強制連行なるものはおよそ無理筋であると確信した。
残された資料を俯瞰するに、たんに売春婦を募集し、応募した者が業者の運営する慰安施設で働いただけの話であった。
少し詳しく例をみれば、慰安施設を運営するのは民間業者であり、売春婦募集が誘拐を惹起するおそれがあるとして、軍の監視がされるようになったという公式資料もあった。しかも、朝鮮において売春婦とするための子女誘拐事件が頻繁に起こっていたという新聞記事も残っており、その犯人は朝鮮人や中国人である。
こういった資料に目を通した結果、旧日本軍による慰安婦強制連行というのはありもしない幻想であると結論付けることになった。
あるいは誘拐は日本がさせたのだ、当時日本は朝鮮を占領していたのだから好きにできたはずだ。という者がいるかもしれないが、それこそ幻想である。
当時の日本は朝鮮に近代的な高等教育をもたらし、独自の朝鮮文字を復活させ、朝鮮人に教えてくれた。これにとどまらず道路や鉄道、建築物などの施設などを設けてくれた。これはすなわち、朝鮮の独自の発展を期待していたのであり、朝鮮の民族性を認めてくれていたのである。
ここでさらに、朝鮮の発展を期待したのは朝鮮を防波堤にするためだという指摘が想定される。しかし、莫大な血税を投入しなければ近代的高等教育にとどまらず道路や鉄道、建築物などの施設などを設けることは不可能であり、その血税の投入が正当化されるには日本の利益になることが必要なのはいうまでもなく当然のことだ。
くだらない反論を想定したために脱線したが話をもとに戻そう。
旧日本軍による慰安婦強制連行というのはありもしない幻想であると結論付けることになったのであるが、慰安婦強制連行という幻想を騒ぐようになった時期が比較的最近であることに別の理解をするようになった。
日韓併合時代を知らない世代が多数を占め始めてから、朝日新聞の報道の後に騒ぎ始めたのである。
これに気付いた時の私は、併合時代を知らないから愚を犯したのだと、ナイーブな理解をするにとどまっていた。
20歳の頃、日本に帰化するか悩んだ。
私のルーツは現在の大韓民国の天安にある。祖父が日本に渡り、同胞の女性と出会い結婚した。私の父母も朝鮮人であり、私は純粋な朝鮮人だと言っても過言ではない。
ならば、やはり日本が先祖の敵であるなら私は朝鮮人として生きよう、もし日本が敵ではないなら日本人となろう。
ここで問題となるのは何をもって敵となるか、何をもって敵ではないとなるのか。
すでに述べたように大勢は決しつつあった。
すなわち、日本は朝鮮にこれ以上ない利益をもたらしたことである。
日本が朝鮮に独自の発展を期待し、民族性まで認めていた。
これは大韓民国の理念に掲げる三・一独立運動の理念を日本が弾圧したという歴史認識に大きく悖るのである。
三・一独立運動が弾圧されたというのは日本でもいわれることがあるが、化けの皮はすぐに剥がれた。独立運動がクーデターであるというのなら、それは鎮圧されるのは単なる敗北に過ぎない。日本の警察官を殺して、日本の民間人も殺して、建物を破壊しておいて、鎮圧されることが許されないなどというのは、もはや言い分自体が成立しない詭弁であると断ぜざるをえない。
もとは独立運動は三・一独立宣言に基づくとされ、朝鮮は日本からやがて独立するという理念を掲げたものであった。そして、この理念自体は日本を責める趣旨に出るものではなく、「自然で合理な政経の大原に帰還させようとするものである」として民族の自律を標榜するものであり、日本の期待することでもあった。
次第に朝鮮総督府は副島道正とともに朝鮮自治論を検討し始めるが、当時の朝鮮人には日本人なしに国際社会を渡り合うことなど到底できるものではなかった。
朝鮮人からすれば、日本の利益など知ったことではなく、たとえ滅ぶとしても民族自決の道を選びたかったかもしれないが、大韓帝国の高宗皇帝は一枚上手であった。
高宗皇帝は外交政策に失敗を重ねてしまい、今後の朝鮮人を守るためには日本との併合が最善の手であるとみたのである。
当時の朝鮮人は高宗皇帝が日韓併合を決めたことについて脅されて仕方なくしたものと決め込む者がいたが、そのような者は不遜な輩にしかみえないうえに、一部の過激な連中であった。ちなみに、李承晩ラインで竹島問題の争いの種を残したことで知られる李承晩は高宗皇帝陛下の退位を要求していた。
私は思う。
我が一族の大本である大韓帝国において、高宗皇帝がお決めになった日韓併合という政策は、私の目から見ても妥当な決断であり、朝鮮に莫大な利益をもたらしたのである。
高宗皇帝は日本に身を委ねた。
私も委ねようではないか。
早すぎる独立宣言は理念として立派だが、独立運動という名のクーデターを起こした連中はただの犯罪者である。
私の先祖の地、天安は現在大韓民国である。大韓民国は国際的な振る舞いを見る限り、一貫して李承晩的である。高宗皇帝的ではないのである。
もう、彼の地に私の居場所はない。
今なら、帰化要件も緩い。日本のような単一民族国家で多くの利益を受けられる国ならば、もっともっと要件が厳しくてもおかしくないのに比較的緩い。いつ厳しくなるかわかったものではない。
日本へと帰化しよう。
朝鮮の正しい誇りを継承し、日本人としてほまれある人物になろう。
朝鮮だからというだけで一緒くたにして叩く間抜けなど捨て置けばいい。
日本人よりも日本を愛する愛国者になろう。
日本人となれば、私は朝鮮系日本人だ。
かつての祖国の傍若無人な振る舞いと、自虐史観にまみれた日本のせいで、これ以上ないくらいに傷ついた朝鮮系日本人の誇りと名誉。
朝鮮系日本人の誇りを取り戻す。
こうして、私は紆余曲折を経て25歳の時に日本人となった。
比較的最近になって、慰安婦強制連行が騒がれたり、徴用工が騒がれたのは、併合時代を知る人がいなくなったから。
それは一応事実である。
しかし、韓国の人々は知らないために愚を犯しただけという単純なものではないらしい。
「独立宣言」ではなく「独立運動」が憲法の理念に掲げられることもおかしい。
韓国の憲法は複数回改正されている。
変な影響を受けているように見える。それは李承晩のせいだと思っていたが、それだけでここまで深刻なことになるだろうか。
日韓を断絶させて笑うのは誰か。そう考えるのはいわゆる陰謀論であって説得力がないといわれがちである。
陰謀論が説得力を欠くのではない。状況証拠だけで論じるから、多くは決定的な説得力がないのが陰謀論である。しかし、その状況証拠がそろえばそろうほど説得力を増すのが陰謀論なのである。
GSOMIA破棄の撤回を笑う自称愛国者を見て、日韓断絶を笑う者としかめる者の攻防の結果だと思う私としてはやや不謹慎に思うのである。
ただ私としては、しかめる者が勝利してよかったと胸をなでおろすのである。
※フィクション
あとがき
筆者は残念ながら純粋な日本人です。
木村つばめ君に不謹慎な奴めという目で見られている側のありふれた日本人です。
なぜ私がこの「朝鮮系日本人の誇り」という自伝風短編小説(?)を書いたかというと、朝鮮人だから悪なんてことはないし嫌韓は無理からぬところだけど、色んな立場に立ってみることで自分の歴史観というのは更なる深みと説得力を持つようになるということが言いたかったからです。
拙い文ですが読んでくれてありがとうございました。
真の愛国者への道は険しく遠いです・・・。
更なる高みを目指してこれからも頑張ります。
どうぞ私もあなた様と共に頑張れたらと思います。
天皇に関する随筆
ドイツの法学者ローレンツ・フォン・シュタイン博士は明治憲法を作ることに協力してくれたことで知られる。
シュタイン博士は、海江田信義子爵に伴った丸山作楽氏より日本の神話や歴史を説明してもらい、次のような言葉を残した。
どうも日本という国は古い国だと聞いたから、これには何か立派な原因があるだろうと思って、これまで訪ねてきた日本の学者や政客などについてそれをたずねても誰も話してくれない。
私の国にはお話し申すような史実はありませんとばかりで、謙遜ではあろうが、あまりに要領を得ないので、心ひそかに遺憾におもっていたところ、今日うけたまわって初めて宿年の疑いを解いた。
そんな立派な歴史があればこそ東洋の君子国として、世界に比類のない、皇統連綿万世一系の一大事蹟が保たれているのである、世界の中にどこか一か所ぐらい、そういう国がなくてはならぬ、というわけは、今に世界の将来は、だんだん開けるだけ開いて、揉むだけ揉んだ最後が、必ず争いに疲れて、きっと世界的平和を要求するときがくるに相違いない。
そういう場合に、仮に世界各国が集まってその方法を議するとして、それには一つの世界的盟主をあげようとなったとする、さていかなる国を推して「世界の盟主」とするかとなると、武力や金力では、足元から争いが伴う。そういう時一番無難にすべてが心服するのは、この世の中で一番古い尊い家ということになる。あらゆる国々の歴史に超越した古さと貴さを有ったものが、誰も争いえない世界的長者ということになる。そういうものがこの世の中に一つなければ世界の紛乱は永久に治めるよすががない。
果たして今日本の史実を聞いて、天は人類のためにこういう国を造って置いたものだということを確かめ得た。
この言葉は、田中巴之助の著書『日本とは如何なる國ぞ』(30頁)に記載されており、シュタイン博士と会った海江田信義子爵から高崎正風に伝えられ、高崎正風から田中に伝えられた。
※ちなみに、この言葉に酷似したものが「アインシュタインの予言」として戦後に流布したらしいが、そちらはおそらくガセであろう。
上記のシュタイン博士の言葉を鵜呑みにして思考停止して信奉してはならないが、初代天皇は神武天皇すなわちハツクニスメラミコトから126代目にあたる今上天皇陛下まで続いたことは奇跡であって、その希少性の観点のみからいっても、日本あるいは世界にとって決して失ってはならないものだということは断言せざるを得ない。
皇統と血統が本当に続いているのかと訝しむのも当然の疑いでもある。続いていないと疑うことも容易であるが、他方において、もし本当に続いていたら皇統を途絶えさせたとき日本はかつてよりはるかに裕福な国になったのに途絶えさせるということとなる。それは永久の国辱である。
日本において、世界において、天皇はその希少性ゆえただいるというだけであまりにも権威が強い。
この権威を封印するのではなく、まして消滅させるのではなく、うまく位置付けることこそが国民主権に委ねられた我々日本国民の責務である。
徳川時代のように各藩の力を削ぎながら支配下に置くのではなく、明治時代のように日本全体の力を集結するために中央集権国家をつくりあげるべく天皇を欲することもあれば、その他国家の改革のために天皇や天皇の親政に着目することもある。
我々は天皇に如何なる役目を担っていただくべきなのか。今という時代において、日本において最も日本全体の結束の必要な領域・課題は何なのだろうか。
これだけの字数で説明しておきながらきわめて軽薄な問題意識だが、憲法改正の議論も進めようという世論のなかでは、天皇の果たしてきた役割を踏まえて、現在における天皇の位置づけを決めておくべきなのである。
ちなみに、今上天皇の血統さえ継承すればよいというような観点から、いわゆる「女系天皇」を容認する声が多いと聞くが、それは今上天皇陛下の血統を継承しただけのことで、皇統を維持するという観点からいえば全く意味がない。
初代天皇である神武天皇の血統とお姿を一代たりとも途絶えることなく継承し、顕示し続けなければならない。神武天皇は男性であった。一代たりとも男子のお姿を途絶えさせてはいけないのである。そして、その男子のお姿を継承した者が天皇となるべきである。皇統というものはこの126代、そうして続いてきたのである。
女系天皇とは異なるいわゆる「女性天皇」の即位については、男系の女性のみが即位できるという前例がある。この前例も、次に天皇となるべき男系男子のための中継ぎのために認められたものに過ぎない。
この程度のことは「男系」が皇嗣の要件になっていることから容易に想到するはずであるが、元宮内庁長官は旧宮家復活を実現しないで女性皇族という皇統の維持のために全く意味をなさないものに目を向けさせて詐欺的に皇統を維持する振りをしようという始末である(皇位継承問題関連記事集成〔1〕。これはもはや皇統を断絶しようという完全な悪意があるものと断ぜざるを得ない。
ただただ、座して死を待つようなこの状況に私は恨みを覚えるばかりである。
改憲に関する随筆
改憲派と護憲派
日本は安全保障の手段として日米安全保障条約を定め、アメリカと協同して日本の領土を守ると決意しました。
日米安全保障条約を前提とするなら、日本も自分の領土を守るために行動せねばなりません。
その際に問題となるのが憲法第9条に定める戦争放棄・戦力不保持です。
日本は、我が国の安全のために軍事行動をとらねばならないのに、それをしてはいけないという矛盾した状況になっています。
改憲派の意見はこの矛盾を解消しようというのです。
護憲派は、安全のための手段について特に講じることはありませんが、日米安全保障条約の締結の際にも日本では反対運動がありましたし、どういうわけか一貫して9条を守るべきと主張します。
すくなくとも、政府は、国家への危険が高まったならば、相応に安全のための策を講じなければなりません。
すでに支那から領海侵犯が繰り返され、北朝鮮からもミサイルが撃たれている状況にみるに、護憲派の行動というのは日本を危険に曝すのみである、と評されるのはむしろ自然なことです。
9条の正当性
にもかかわらず、なぜ日本人の心に第9条に定める戦争放棄・戦力不保持が響くのでしょうか。
私も日本人ですが、もし、恐ろしい大量破壊兵器がこの世からすべてなくなってしまえばいいと思うし、そのさきがけとして日本が放棄するというのは理念として正当性があるように思えてなりません。
もちろん、今の日本の置かれた状況にみて、国家の基本方針として第9条の維持が妥当かと問われれば、もはや失当であると断言せねばならないほどに国際社会は残酷であります。
争いをやめるべく武装解除をしたために侵略されるというのは、ウクライナに然り、古くはカルタゴに然り、人類の歴史でもあります。
すなわち、人類の知性ないし理性によれば、明確に否定されるべき第9条が、私は理由さえ不明なのに「正当性がある」と思っているのです。
日本では聖徳太子の示した「和をもって貴しとなし、 さかふることなきを宗とせよ」という理念が承認されてきました。争うことを放棄するという9条の理念は我々の心を打ったのではないでしょうか。
9条はまやかし
しかし、ある書物を読み、9条がただの幼稚なまやかしであると確信しました。
その記述を現代語訳と要約をしつつ、引用いたします。
こちらが争うつもりはなくても、先方が争うつもりであれば、先方と争って勝たねばならない。故に、結局の安全を得ようというなら、こちらが争わないと共に、先方も争わないようしなければならない。
真に争いをやめるには、争わなくてもよいようにしなければならない。そうするには、人間のすべてを通じて、同じ「道」に安住するよりほかにしようがない。
人類を通じての同じ道とは、人類の誰もが喜ぶことで、それが天地の理にかなっていて、どこにも通じ、いつまで経っても変わらない一貫した道でなければならない。
人間の誰もが好むことは、一番嫌いな苦悩や滅亡を避けて、一番好む生育長栄の道である。およそ生物の一切を通じて、自分が死ぬということほど嫌なことはないに決まっている。そして死ぬことの反対の「生まれる」、「生きる」、「育つ」、「栄える」、ということは何より好きなはずである。
こちらもそう思い、先方もそう思えば、同意見同主義であるから、意思も感情も一致する、そこに争いが生じるわけがない。
(田中巴之助『日本とは如何なる國ぞ』天業民報社、昭和3年11月3日、41頁以下。)
このような文章を読むと、お花畑か、と思う方もいるかもしれません。
しかし、私は違う印象を抱きました。
田中は前もって「こちらが争うつもりはなくても、先方が争うつもりであれば、先方と争って勝たねばならない」と説いています。
また、「自分が死ぬということほど嫌なことはない」旨を言っていますが、裏を返せば、自分が死なないなら相手が死んでも問題はないはずです。そして相手が死んでも、自分が繁栄するなら問題がないはずです。結局のところ、相手が攻撃したくないと思う程度の戦力は必要なのです。
そのうえで、勝てない戦争を戦おうとする国があったとしても、争わないで済む究極の術が「人類すべてが生育長栄の道に安住すること」と説いているように思います。
もちろん、「生育長栄の道に安住する」とはどうやるのかという疑問があります。
しかし、それは私達の生活の中で心掛けることであり、特に外国人に対してもしっかりと説く等、普段の生活の中で心掛けることなのだと思います。
歴史観そのもの
歴史観と歴史教育
我が国の行動と結果を眺めて、我が国はどんな国なのかを理解するために歴史教育は重要だ。
たとえば平安末期をみると、
事実2:平清盛は日宋貿易の際に、宋銭を大量に輸入し、日本の経済基盤を大幅に強化した。
事実3:各地で力を蓄えた武士が反乱を起こす。
私には、源氏方・鎌倉方は平清盛から恩恵を受けながら、仇で返したように見える。
同じ失敗・歴史を繰り返さないために、また我が国特有の国家観・政治観・倫理観を備える。こういうところに歴史教育の重要性がある。
他方、ありふれた歴史観では、平清盛は傲慢な振る舞いをし、平家は貴族化し、栄華を極めて傲慢になったから滅びた。滅びるべきだった。当主の宗盛は命乞いをして惨めで情けなかった。といった具合である。
このありふれた歴史観がなければ、多くの人は平清盛という名前を覚えなかったかもしれない。
このありふれた歴史観に対する反駁は腐るほど言いたいことがあるが、置いておく。
こうして考えてみると、義務教育にて、特定の歴史観から歴史的事実を教わることには、ある程度の合理性がある。
その合理性は、次の利点に支えられる。1つ、とりあえず歴史的事実を知ることができる。2つ、議論の始まりのコンセンサスを得ることができる。3つ、そのコンセンサスから反駁・反論という形で議論の構築をすることができる。
もし、歴史観などなく、子供にいきなり歴史的事実のみを伝えると、なんでその人はそうしたの?という疑問だけが残り、わけのわからないままで授業が終わってしまう。
また、多角的に歴史を見ようとしたときに、まず反駁・反論の対象となるべきコンセンサスがある方が多くの人が議論を理解できるし、議論の構築も容易になる。
歴史観と歴史学
自分なりの歴史観を構築したいと思っている人は、世の中けっこう多いのではないだろうか。
歴史学を学んだ人は思うかもしれない。歴史的事実がどれだけ確からしいか、あるいは歴史的事実の経緯が学問的に決着がついているのに、その歴史的事実やその経緯を過小評価したり、過大評価していることは、不見識が極まりないと。
もちろん、学問というのは極めて理性的に構築されなければならない。
だが、真実は誰も知らないのである。学問によって真実らしいものを見出すことができるだけである。素人の歴史観を学問によって否定することは容易なのだろうが、絶対的に否定することはできない。
素人の歴史観を絶対的に否定することはできない。ということに思いを致すと、その素人の歴史観を否定することに加え、肯定することも学問の役目なのではないだろうかと思う。
学問も議論の構築によって成り立つ。そこでは論理性を損なわないよう注意を払いつつ経緯の推論や事実への評価も行う。そして反論を想定するのである。
反論を想定したときに削る推論や評価もあるだろうと思うが、究極は真実など誰も知らないのだから、むしろ徹底的に行き過ぎた推論・評価があってもよいはずである(無論、反論もそれだけ多くなるが)。
それに、行き過ぎた推論・評価が素人の歴史観の助けともなるだろうし、多くなった反論は再反論の機会を生むのである。
私は平安から源平合戦の頃にかけて平家善玉論ともいうべきほどに平家擁護派であるが、私の歴史観からいえば、もっと行き過ぎた平家擁護を読みたいし、そのなかから私の肯定できる部分があればもっと取り入れたいのである。
突然だが、私は民族統一主義という右翼的思想には大反対である。廃仏毀釈によって神仏習合を破壊したのも許しがたい。そして、私が平家擁護の歴史観を持つのは、平氏の子孫だからであるが、日本には源平藤橘の姓に始まり、あまりにも多くの氏族とその子孫がいる。私は各氏族にその誇りを取り戻して欲しいと思っている。
その誇りを取り戻すためにこそ、歴史学がその深淵を見せ、碩学が成果を見せつけるべきだと思うのである。
結び
歴史教育がコンセンサスを確立するのに役立つのであるから、歴史教育では反論を待つ目的で歴史観を示していけばよい。
そう考えると、はじめから日本に対して批判的なところから始まるのは正常ではない。やはり、正当性の主張がまずあって、それに対して発展的に批判する・反論する、というのが正常な議論の構築であろう。
また、日本の歴史には多くの氏族が登場する。当然、その子孫も現在でも多くいるのである。各氏族の正当性という発展的な方向への歴史観の構築のためにも、歴史学の見識が提供されていってもよいのだと思う。